何か僕ばっかだけど、いいのかな? by yoshi
すんません、暇人が書きますよ。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 眠り男の棺 (徳間デュアル文庫)
- 作者: 藤咲淳一,中澤一登,新野量太
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2005/02/04
- メディア: 文庫
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同名作品の小説版、自分は先日読了。
現在は弟子先生に貸し出し中、先生の感想も楽しみなところです。
著者はプロダクションI.Gの押井塾出身、神山監督と共に生還した強者。
S.A.Cの脚本だけでなく、「お伽草紙」にも参加するなど精力的に活動中。
お伽草紙に参加していた感じがする、非常に今作では都市の描写が多い。
ということで、今回は自分もよく考える都市について一考してみる。
押井版にせよ神山版にせよ、攻殻の世界観は非常にネット世界が発達した社会である。
その存在は、完全に人々にとってリアルと対等な存在であると自分は考えている。
荒廃した都市に残った記録というのが、今回の作品では大きな鍵となっている。
私は、都市とは時代の記憶を記録する大きな媒体ではないかと思うことがある。
町にある、さびれた店一つとってもそうである。そこにあった興隆を見ることができる。
そうしたものが集まって町、都市というのは構成されているのではないか。
都市が経験した時代の記憶が建物・景観として、そのまま残されている。
例えば、京都という都市について考えてみれば想像することが出来るのではないか?
京都には、古の都の記憶が今もそのまま名残を残しているのである。
まるで時が止まっているような、そんな感覚におちいるのではないだろうか?
同じように町にある一つの建物が一つ無くなれば、一つの時代の終わることになる。
炭坑がなくなる、廃線になる、そういったものも似ていると私は思うのだ。
ネットでも、同じようなことが考えられると思う。
古いログという形で残っているページ、もちろんそこには存在した記憶が残っている。
書き込み数を満たした掲示板、閉鎖されたニュースサイト、膨大な情報と共に残った記憶。
そう考えると、私は都市とネットは似たような存在ではないかと思うことがある。
SFというか、かなり社会学的な話になっちゃったけど、今日はここまで。